「ひとが投資をすることとは」
前回のブログで触れたことですが、8月の株価の急落を目のあたりにし、株式・債券、更にグローバル投資では避けられない為替リスクを負ってまで、なぜ個人がリスクのある資産で資産形成をしなければならないのだろうと疑問に感じられた方も多いのではないかと思った次第です。
「ひとが投資をするとはどういうことか」をお金のデザイン研究所と京都大學哲学科による共同研究[1]を2021年より進めておりますが、今年の8月に、預金での資産形成と投資による資産形成とは何が違うのだろうかということがテーマになりましたので、その時の議論を踏まえながらお話しさせて頂きます。
投資による資産形成への迷い
預金による資産形成は、日本は世界でも優等生ですが、投資での資産形成となると石橋を叩きながら渡っているという段階だと思います。
リスク資産への資産形成となると、途端に臆病になるのはなぜなのでしょうか。もちろんリスクのある有価証券でなければ、資産をインフレから守り、維持できないことは頭では理解しているつもりなのですが。周囲でもNISAやiDeCoで有価証券投資が広がり始めると、遅れてはならじとの雰囲気から、投資が広がったと言えなくもありません。ところがこの8月以来の株価の変動を目の当たりにしてヒヤヒヤされている方も多いのではないでしょうか。
周りの動きや経済環境に左右されず、自分のための資産形成の意義を自分なりに明確しておけば、動揺することなく資産形成を続けられるのにと思ったのは、私だけではないと感じています。
ひとが投資をするとはどういうことか
ひとにとっての預金の意味
労働の成果物である所得の一部から生み出された預金は、自分の努力した証でもあり、それを投資に回すことによって毀損したくないという気持ちが働いてしまうのは自然なことだと思います。また、預金は元本保証商品であり、かついつでも換金できるため、今後どう使えば充実した生活が送れるかについて考える時間を稼ぐための一時的に避難できる金融資産とも言えます。金融機関が預金をどのように運用・貸出されるかを預金者が考える必要のないのは、元本保証されているからであり、ある意味、預金者の意思を反映しない金融資産とも言えます。
ひとにとっての投資の意味
それでは、預金から投資へ変えることはどのような意味があるのでしょうか。
投資とは、資産を上手く使うこと、つまり、自分の「しあわせ・価値観」を実現するという意思に基づいた投資行為です。ところが、「しあわせ・価値観」は、はじめから明確に誰でもが持っている訳でもなく、時間・経験・労働或いはその対価によって築いた資産の推移によって徐々に明確になっていくように思います。
では、目指す「しあわせ・価値観」が具体的にわからないと、投資はできないのでしょうか。こういう私も、今自分の「価値観・しあわせ」を明確に持っているかというと自信はありません。ただ、投資を始めたことによって、「しあわせ」を実現する手段となりうる資産の推移を目の当たりにすることにより、言葉だけで「しあわせ・夢」を語ることの無意味さは理解できるようになりました。言葉はすぐ忘れて、また都合よく新しい夢を語ればいいのです。ただそれは、何も実行に移していないので夢は生活には全く反映されません。一方で実際に投資し保有された資産が築かれれば、それは否定できない事実であり、様々な事象が起こるたびに自分でどうすればよいか考えないといけなくなります。つまりそれは漠然と考えている自分の「しあわせ」を吟味し、具体化するきっかけになります。生活/人生の予行演習を、資産運用を通じて経験しているとも言えます。労働によって得られた対価である資産が遠回りをしながらも成長していくのをみると、苦労が報われたという充実感は得られます。
「作られたものが作るものを作っていく」[2] というある哲学者の言葉があります。自分が働いて得られた資産を作られたものとして捉え、この作られた資産が、作るものである自分を作っていく(成長させる)と読み替えることができると思います。「作られたもの」が、変化しない預金でなく、融通無碍に変わるが、成長していく可能性を秘めている投資をすることによって、作るものの主体である自分をより大きく作っていく(成長させる)と捉えることができると思います。投資が、自分の求める「しあわせ・価値」を明確にしていき、日常生活で今まで気づかなかった選択肢が他に沢山あることを教えてくれたりするのだと思います。
[1] 京都大学大学院 哲学専修 出口康夫教授*と共同研究を2021/7より開始「ひとが投資をするとはどういうことか」をテーマとして、それは「しあわせ(Well-Being)」の実現に関連すると考え、「しあわせ(Well-Being)」の定量化により一人ひとりの生き方を提案し、個人が将来目指す価値実現をサポートする金融サービスをあるべき姿を研究課題としている。
*:京都大学文学研究科長/文学部長ならびに京都哲学研究所共同代表理事(NTT会長澤田純共同代表)
[2] 『西田幾太郎講演集』(岩波文庫) 「歴史的身体」
「自分が働いて作った物は、自分から離れて独立する。公の物になり、つまり歴史的事物になり、それによって逆に自分自身が変化を受ける。すなわち、自分自身が作られていくことになる」とあります。
投資資産は、自分の働いた結果ですが、投資した先は、経済を反映した生き物である金融資産であり、自分がもはや自由に差配できるものではなくなっています。投資対象資産は、経済実態そのものであり、自分の変化を促す機能を果たしていることにもなります。
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